蘊蓄斉 の ここだけの ☆は な し☆
蘊蓄をたれることに、喜びを見出す 中途坊さん。
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エコとは何か?

懸賞サイトをサーチしていたら。


「第10回 JAF みんなのエコ川柳」

というのを見つけた。

2・3日、ない知恵を絞っていたが、なかなか思いつかなくて、ググりに頼る。


ググり1ページ目にして、いろいろな意見に出会う。

「う~ん。  これはこれで、勉強になるなぁ。」

受賞論文【優秀賞】本当のエコとは

高校生の懸賞論文なんですね。

そういえば、子供らしくて素直ですね。


本当のエコとは?

中途半端な知識で、結論が浅薄ですね。

中学校の先生?   あ~  理科か。
前出の高校生と同じレベルですねぇ。


本当の意味でのエコハウス

エコを主張するにも、自分の立場が重視されますよね。
どこまで、自然というものにこだわったらいいんでしょうかね?
技術革新を全く無視するのも幼稚な気がするし。


本当のエコライフって何だろう?

色々とまとめてあって、わかりやすいと思います。

が、ありきたりの結末ですね。科学者としての真摯な姿勢はいいですが。

「正しい基礎知識」
「論理的な思考力」
「自立的な態度と「正しさ」への謙虚さ」

「様々な面でのバランス感覚」


一般の生活者にこれらを求めるのは酷。非現実的です。

ここからがスタートですね。

大変良いことを述べておられるとは思います。うん


新しい技術は、必ず何かしら副作用をもたらす。というのも、ある意味正しいような気もするが、そこのこだわりすぎるのも、悪しき執着。

あ~、もうどうしたもんか?

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資本主義2.0
「資本主義2.0」という本を、ようやく読み終わりました。

「宗教と経済が融合する時代」というサブタイトルに惹かれて購入したのですが、あまり宗教と関係した部分はありません。まあ勉強になった部分は多々ありましたが、現在的な経済実学の解釈と言った感じでしょうか。
「資本主義は国家レベルのねずみ講」という考えは、面白いですね。

「資本主義2.0」でググってみると・・・
なんと、もう時代は既に「資本主義4.0」に突入しているそうです。

成り行きで、「持続可能な世界」でググってみました。

いくつかの視点が見つかりましたが、主なものだけ列挙しますと

1.どうしても「人間(人類)のため」が中心になっている
2.20世紀からこちらの「科学技術」を駆使しようとしている(反省はあるが)
3.「持続」と言いながら、「発展・進化・開発」の呪縛から解放されていない

ような感触を受けます。

わたし的には、
「足るを知る」的な宗教倫理に基づいた、我々自体の意識改革を最優先にしないと、結局いたちごっこになってしまうような気がしているのですが、あまりそのような視点は見受けられませんでした。

キリがないので、検索結果の先頭2ページから、参考になるものをリンクしておきます。

持続可能な開発に関する世界首脳会議

持続可能な社会を創る

持続可能な世界の構築のために(PDF)

持続可能な世界の構想(PDF)

持続可能な開発のための教育
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「ホンマでっかTV」
「ホンマでっかTV」の録画を見ていた。

「腹黒い人」の「超診断」というテーマで、
西島秀俊・伊藤淳史・石橋杏奈・中村蒼 の4人がイジられていた。
秋ドラマ『無痛』のキャストらしい。

植木理恵・映画で泣くか
池田清彦・ドラマの打ち上げは好きか
門倉貴史・あくびは移るか
武田邦彦・評価されていない人にアドバイスするか
澤口俊之・異性を褒めてみて

クダンの博識軍団が、こんなような質問で攻めていた。

クライアントは役者さんたちなので、面白おかしく受け流していたが、
そこここで、「腹黒い」とか「サイコパス」「人として最低」などと、日常生活では禁句な言葉が飛び交っているのに、少なからず不快感を覚えるのでした。

が、

よく考えてみると、

我々は、普段の法話で

「凡夫」ということをよく口にします。

元々「凡夫」というのは「仏法に照らして、物事を正しく見る智慧の眼を持たない者」という意味なのですが、
やもすると、「ヨコシマな心を持った悪い奴」というような意味合いで、受け取られる場合もあり、
言葉使いに注意をしなければと常々思っているところです。

「私たち『凡夫』は、・・・・」という法話を口にしている自分と、
出演者たちを面白おかしく虚仮にする博識軍団とが、
つい重ね合わさってしまって、考えさせられることでした。

「ホンマでっかTV」をみて、法話に思い至る私って・・・。

へん !?
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延岡市でお通夜
先日、久しぶりにお通夜を勤めさせていただきました。

ご住職が所用で出張ということで、急遽臨終勤行とお通夜を任されました。

親族の方も、葬儀が初めてということで、しかも延岡市在住のため、見知った高千穂の葬祭場とは勝手も違って結構緊張しました。

前日の打ち合わせで、「通夜が5時半から」と伺っていたので、少し早めに5時前に会場に着いた所、

案内板には「お通夜 六時から」と書いてあるではないですか。

なにか行き違いでもあったのかと思って、訪ねてみたら、

「お通夜のお勤めは5時半からです。一般の参拝の方が6時からということで・・・」

という返事。

ところ変われば品変わる。

ほぼ親族の方たちだけの状況で、お勤めを行いました。


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身内の死 と 悲しみ
今回の義父の死去にあたって、色々と感じたことがあります。

わたくしごとの自分史ですが、

もっと若い頃、
人の死を悲しむということに疑問を持っていた時期がありました。
葬式で、おいおい泣いている人を見て、素直に感情移入できなかったのです。
もちろん、故人との関係性の深浅もあるでしょう。
感受性の違いもあるでしょう。
しかし私は、例えば一番身近な人、親兄弟がなくなった場面を想念しても、あまり悲しいという感情が湧き上がってこなくて、少なからず困惑したことを思い出します。10代から20代にかけてのことです。
当時私は、生意気にも科学者を目指しており、しかも浅層な唯物論者主義に傾倒していたこともあり、感情を持たないことにある種の誇りを感じていたこともあります。
しかし、科学者に没頭するという夢も潰えて、ごく普通のビジネスマンに身をやつしたとき、フツーに悲しめない自分にダメ出しをするのです。
結婚して、フツーに家族を営み始めた頃、母方のおばさんの葬式がありました。
特に親しくしていたわけでもなく、盆正月に会うくらいのお付き合いでしたが、この時は出棺の前に思わず涙が溢れてしまい、不謹慎ですがフツーであったことを喜んだものです。

今回の、義父の突然といえば突然の死去。
私は娘婿という立場ですが、奥さん・兄弟・子供達に悲しいという素振りが全くと言っていいほど見受けられない。
不思議といえば不思議。
当たり前と言えば当たり前。

亡くなった前住職は、佛の教えをお伝えする立場でした。

浄土真宗の死に対する対応は、なかなかにビミョーなところがあるのですが、誤解を恐れずに言ってしまえば、

「悲しまなくても セイカーイ」

なんせ、お浄土に往生されたのですから。
お祝いせんといかんくらい。
でも、世間体があるから。

と、ぐちゃぐちゃと堂々巡り。

それよりなにより、お参りの方の相手や、色々とこなさないといけない雑事があって、
ゆっくり悲しんでいる余裕はない。

というのが現状でしょうか。

ここで、「悲しむ」ということについて調べているうちに、面白いことにいきあたりました。

私が、今の立場で義父の死去を悲しむという場合、
いくつかの状況がありうるということです。

1.もうこの世で会えなくなった事を、自分が嫌だ。
2.故人が可哀相で同情して悲しい。
3.故人の身内が悲しいだろうと慮って悲しい。
4.故人の死に際して、十分にできなかった自分の不手際が辛い。

「悲しい」にも、いろいろな意味合いがあるものですねぇ。

死去から約一週間。
やっと、モヤモヤしていたものをまとめることができた気がします。

 「宮崎から、ねーちゃん達がわざわざ帰ってくるげんから、部屋の片付けしようま。」

 「ほ~い。」
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一夜明けて
義父の葬儀。

無事終わりました。

時々小雨がぱらつく、あいにくの天候の中、

千名近い方にご参拝頂いた模様です。

ありがとうございました。

葬儀の模様を、写真・動画に撮りたかったのですが、

一応親族の端くれなので、

グッと我慢。

と、

孫の一人が、

「親族席で集合写真を撮る。」

と言い出しました。

一応遺影を真ん中に置いて、

ピースでもしそうなノリです。

喪主である住職の奥さん、

坊守さんですわな。     →この方です。

真っ赤なタブレットを片手に、バシバシと会場内を撮影して回ります。





ご高齢であったとは言え、

突然お亡くなりになったのに、

などと、いらんことを考えているのは、私だけ?










 「また、サボっていらんことしようがね。後片付けも忙しいちゃが。」

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お寺さんの葬式
とまあ、これがお葬式の現状でありまして・・・。

喪主のご家族っていうのは、

忙しいんですよぉ。

悲しんでいる暇      ないっ。

ましてや、前住職の葬儀ですから、

葬儀当日の出勤(ご本尊の前でお教を読む人たち)は、近隣寺院の住職方が12名。
普通の葬式で、きんきらりんの衣(七条袈裟と言います)を着ている坊さんが12名勢揃いです。

進行役は、葬祭センターのお兄ちゃんじゃなくて、これも五条袈裟で正装した若い坊さんたち。

ご門徒数百名に、一般参拝者数百名が見込まれます。

駐車場も半端ない。

本堂は、親族席などを設けると50人も座れないので、本堂前の庭にテントが張られます。

本山からは、達書の伝達が行われ、院号をいただきます。

まあ、他の宗派に比べればさほど派手ではなく、必要最低限の威厳と敬意を保ったお葬式でしょうか。

それにしても、お寺の面々は、様々な雑事に駆け回っております。

そんな中で、前からご予約いただいていた法事が5件ほど。

住職と坊守、それに私もお手伝いしてこなします。

「つい、数ヶ月前まではお義父さんもお勤めされていたのになぁ。」という思いがフトよぎります。


そんな中、あちらこちらから、兄弟やら孫やらが帰省してまいります。




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往生
義父が往生されました。

突然といえば突然。
しばらく前から、元気がなかったといえばそうなのですが・・・。
つい十日程前に、「キチーから、入院するっぺ。」と言って、療養入院して、退院したばかり。
「このままだと、寝たきりになるげんね。」と医者に言われたとか。

ついに、寝たーーーっっきり

になってしまいました。

正念寺第十六代のご住職。

なので、葬儀は盛大に行われます。

亡くなったのが、5月30日

5月30日 身内でのお別れ会
5月31日 仮通夜
6月1日  通夜
6月2日  葬儀

となります。

義父の往生にあたって、
色々と感じるところがありましたので、綴ってみようと思います。








えーーっ

 「ねぇねぇ、  サボっちょらんで、掃除手伝ってぇや。」


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瞑想について
行きがかり上、入院中に瞑想に挑戦することになったわけですが、ここで少し真面目に、瞑想について考えてみます。

このごろは、「瞑想」と言っても特別な人たちのものではなく、一般人の間でも所謂ブームみたいになって久しい。

「瞑想 ブーム」でググってみると、
「ジョブス」がやっていた  とか、
多くの米国経営者がやっている  とか、
シリコンバレーで働く優秀なビジネスマンの間で流行っている  とか、
そういう記事が囂しい。

瞑想の意味というか効果については様々な観点でたくさん述べられているようだが、大きく分けて「1.心の平安」と「2.ビジネス効果」という、一見対局に思われる二つの方向で論じられている。

1.心の平安
正統派の瞑想を手繰っていくと、「サマタ瞑想」・「ヴィパッサナー瞑想」に行きあたります。
これは、初期仏教でサンガの修行の一環として行われていたと伝わる伝統的な瞑想で、現在では「日本ヴィパッサナー協会」や「日本テーラワーダ仏教協会」などで、主に精神修養として語り伝えられています。
どちらかというと、深い悩みを抱えていたり精神を患ったりした人の治療の一環として注目されているという志向が強いように思われます。

一方で、
2.ビジネス効果

シリコンバレーにおいて、瞑想のメリットとは、脳を鍛えてその機能を上げることだと考えられています。生産性や集中力、そしてひらめきを高めるという効果 があると言われており、そしてそれはシリコンバレーが求める独自性・創造性には欠かせないものです。だからこそ今、シリコンバレーで瞑想が流行となってい るのです。これも最近はやりの「脳科学」とも結びついて、ビジネスに直接有利に働くツールとして、非常に打算的な観点から、自己啓発の道具として採用されています。

同じ瞑想と言っても、180度異なった効果を期待されているように見受けられますが、苦悩や疾病から回復するための手段と、ビジネスをより効果的に発展させるツールとが、どこかで融合するのか、楽しみです。

入院中、否応なく挑戦してみた瞑想ですが、

難しいっす。


「サマタ瞑想」の中の「慈悲の瞑想」をかじっていたので、やってみましたが、
わずか5分くらいの間に、雑念の沸くこと沸くこと。
雑念を追っかけているうちに、瞑想の言葉を忘れてしまいます。

これはやはり、修行ですなぁ。
真摯に長く続けないと、瞑想すらできない。

ってことが解りました。

とは言え、なんとか続いている毎朝の「正信偈」のお勤め。
お陰さまで、経文は暗誦できるようになったので、
無本でのお勤めはある種「瞑想」になっているのかもしれませんね。
お勤めしている20分間は、何も考えていないような気がします。
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入院手術
網膜剥離で、緊急手術。

二週間ほど、宮崎の病院に入院しておりました。

詳しいいきさつは、 
こちら  をどうぞ。    8回の連載になっております。

この週末は、「秋彼岸」の法要と法事が2件ほど入っておったのですが、すべてお任せして入院加療させていただきました。

皆様に、ご心配とご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。

南無阿弥陀仏

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